その時、彼は、自転車を走らせていた。
突然、目の前に一匹の猫が飛び出してきた。
彼は、急ブレーキをかけたのだが、間に合わなかった・・・・・。
ちょうど、1年が過ぎた。
彼は、待ち合わせの場所へと急いでいた。
今回は、自転車には乗っていなかった。
「くそ、今日は久しぶりのデートや思うて、せっかく、かっこよう決めよう思うたのに・・・・。
これやったら、チャリで行きゃよかった。」
バス停が見えてきた。
バスは、まだ来ていない。
「ラッキー、間に合う・・・おおお!」
彼は、ペンキまみれになっていた。
すぐさま、上の方から声が聞こえてきた。
「おう、兄ちゃん、すまんのう。この、いらんことしいが・・・・・。」
職人さんが、手に何やらつかんで降りてきた。
それは、猫だった。
彼は、アパートに戻ると、先程ペンキ漬けにされた服を脱ぎ、そのまま、そばにあったスーパーの袋に放り込んだ。
そして、体についたペンキを落とすため、やかんを火にかけた。
「まったく、表にも出られん・・・・・。」
しばらくして、電話がかかってきた。
約束をすっぽかしてしまった相手からだった。
彼女は、カンカンだった。
言うだけの事を言ってしまうと、彼の釈明も聞かずに、電話を切ってしまった。
彼は、ため息をつくと、例の服の入った袋を持ってアパートを出た。
コインランドリーへと自転車を走らせていると、突然、前方に立て掛けてあった看板が倒れてきた。
彼は、それを何とか避けることができたが、その代わり、側溝に突っ込んでしまった。
自転車のハンドルは変形し、彼自身、腕を痛めてしまった。
後ろから、道幅いっぱいで走ってきたダンプの運ちゃんは、その光景を見て笑っていた。
看板の陰から、猫が顔を出していた。
その表情は、どことなく、笑っているようにも見えた。
「くそー、また猫か!」
彼は、自転車屋でハンドルを直してもらった後、コインランドリーで、例の服を洗った。
しかし、ペンキは、思ったようには落ちなかった。
「あー、やっぱ、シンナーにでも漬けなあかんのかな・・・・・。」
そばの塀を、何かが走って行くのが見えた。猫だった。
「今日は、よくよく猫に縁のある日やなあ・・・・・。今度は、何をやらかす気や?」
しかし、猫の奴は、そのまま、どこかへ行ってしまった。
「気にし過ぎやな。別に猫にたたられるようなことは・・・・・。」
と、言いかけたところで、今度は、ポリ容器が降ってきた。
もっとも、落ちたのは、ずっと前の方なので、難は免れたが。
ところが、彼は、その容器の残骸に書かれてある文字を見て驚いた。
その容器には、希硫酸が入っていたのだ。
彼は、アパートに逃げ帰った。
「猫に恨まれるような筋合いなど・・・・・まさか!」
彼は、ちょうど1年前、猫を轢いてしまったことを思い出した。
彼は、アパートを飛び出した。
あの猫が、その後どうなったかを調べるために。
「あの猫やったら、ケガも治って、無事退院したが・・・・・。」
1年前、あの猫を担ぎ込んだ犬猫病院の先生は、こう語った。
「飼い主も・・・・・
そうそう、あの猫なあ、君がここへ連れてくる10日程前にな、尋ね猫になっとってな・・・・・。
ひょっとしたら、君が、あの猫を見つけ出してきたようなもんかも 知れんな。」
そう言って、先生は、笑った。
しかし、彼は、病院からアパートへ戻る間にも、散々な目に遭った。
交差点を渡ろうとしたとき、ごみ出し用のポリバケツが転がってきて、それに足を取られてしまい、
頭からごみの山に飛び込んでしまったのだ。
日は、すっかり暮れてしまった。
彼は、アパートの自分の部屋で、重く暗い気分で、映画のチケットを眺めていた。
本当なら、今日、彼女と一緒に見るはずだったものである。
彼は、何気なくラジオのスイッチを入れた。
「先生は、あんな、どんくさそうな猫が、人にたたるなど、想像しただけで笑いが止まらん、言うて笑ろうとったが・・・・・」
ラジオでは、ちょうどニュースを流しているところだった。
『本日午後1時50分頃、◯◯市◯◯2丁目の映画館「◯◯シアター」で火災が発生し、
懸命の消火・救命活動にもかかわらず、死者42名、行方不明者9名を出す、大惨事となりました。
◯◯署の調べでは・・・・・。』
彼は、驚いた。
もし、あの時、あのままバスに乗っていたりでもしたら・・・・・。
電話がかかってきた。
受話器の向こうからは、いつもと変わらない彼女の元気な声が、聞こえてきた。